銘菓の故郷飯塚
江戸時代、海外との唯一の窓口であった長崎出島。そこに荷揚げされた砂糖は、佐賀・福岡・小倉と続く長崎街道を通って、大坂・京・江戸へと運ばれて行きました。このことから、長崎街道は「シュガーロード」とも呼ばれ、沿線のあちらこちらに砂糖文化が残っています。
このシュガーロードの沿線にある福岡県飯塚市にも、多くの文化財とともに砂糖の伝来がもたらした数々の銘菓があります。
東京土産としておなじみの「銘菓ひよ子」は、実は大正元年に、飯塚で産声を上げたお菓子です。「ひよ子=東京土産」というイメージは、昭和39年に東京で販売されるようになったころから定着したようです。
飯塚生まれの銘菓は、ひよ子以外にもたくさんあります。飯塚といえば炭鉱で栄えたところ。肉体労働が続く炭鉱で働く人たちのエネルギー源として甘いものが好まれたことも、飯塚のお菓子文化を支えてきました。
九州白水の工場近くにもお菓子の工場があり、時折、甘い香りが風に乗って運ばれてきます。