インドの車窓から
まだ幼い赤ん坊を”抱っこひも”で背負いながら、這いつくばって車内のゴミ掃除に精を出す少年。
見た目はまだ小学校に上がったばかりのように感じ取れた。
「あんたの席を綺麗にしたからお駄賃をくれよ」
私の座席を掃除してきた少年の瞳は思わず目をそらしてしまうぐらいに力強い。
私は少し考えたあと、彼に数ルピーを支払った。
「あいつが勝手にやってることだから、あげない方が良いぞ」
一緒に同行していた青年が飽きれながら忠告してきたが、私は”施し”をしてあげようと憐憫の心で支払った訳ではなく、単純に少年の労働に対して感謝の気持ちで支払っただけだ。
2014年3月。
日本から6000㎞離れたインドを旅して1か月が経過していた。
これから向かうムンバイでは、当時2,100万人のうち4割がスラムに住んでいると言われていた。
世界銀行が定める貧困ライン(1日当たり1.9ドル)なる指標が有名だが、1日2ドル以下の暮らしがどのような暮らしなのか。
アスファルト舗装を好調に走るバスの窓から見えるのはオフィスビル群。
反対側の席からは“白と青の小高い丘”が見える。
その丘でタンクトップ姿の子供たちが何やら拾い物をしている。
道路を“境界線”にして示される貧富の差に「これがインドの貧困層か」と思わず漏れてしまうが、そんな呟きを同行者の青年は拾って打ち返してきた。
「確かに経済格差はあるけど、当人が不幸か幸福かはその人次第じゃね?」
彼曰く”俺たち外野が勝手にその人の幸不幸を押し付けても意味が無く、大事なのは当人の自覚”であるらしい。
彼の持論に、ふと、さきほどの逞しい少年の顔を思い起こす。
もう一度窓に目を向ける。
経済的豊かさがあるに越したことは無い、と思いながらも日本を飛び出してインドの渦で”何か”を探して旅を続けている自分はいったい?
やがて考えるのを放棄して目を閉じた。
バスはムンバイ国鉄駅(チャトラパティ・シヴァージー駅)を目指す。