忙しさにも意味がある
忙しい毎日を送る。
本当に?
自分で忙しくしているだけじゃない?
なんのために?
毎日を過ごしているとイライラすることはあるし、思い通りにいかないこともたくさんある。だた、感情的に怒る、ということはほぼない。
ま、当たり前か。いい大人なんだから。
このイライラすること、思い通りにいかないこと、これを自分でどう扱うか。
そのままイライラしていたり、我慢していたり、していても自分がつらいだけ、いやな気持が続くだけ。
そのイライラする対象は「自分でコントロールできることだろうか」それとも「自分ではコントロールできないことだろうか」と考えてみる。
もしそれが「自分でコントロールできること」なら、自分から行動してみるのも一手。
もしそれが「自分ではコントロールできないこと」なら、意識の裏庭にポーンと投げて、放置しておくのがいいかな。なぜなら自分ではコントロールできないんだから、イライラするだけ損。
今回のコロナ禍で感じたことがある。それは、一つの事象に対してこんなにも人の考え方には幅があるんだな、と。だから他人が自分と違う考え方を持っていたり行動したりしても、それは当たり前のこと。
そして他人の考え方や行動は、「自分にはコントロールできない」。だよね。
だから少なくとも、他人の考え方や行動にイライラしたりすることが自分にとって有益だとは思えない。その代わりに、相手を認めつつ、自分の考え方も伝えることができればいいな。そんなふうになりたい。
忙しい毎日を自ら作り出しているということは、
ひょっとすると嫌なことを忘れるための自分なりの無意識の行動なのかもしれない。
ツクツクボウシ拝