楕円の哲学
南の国にくると、その涼しさに驚く。
心地よい風。特に夕暮れ時にはふと日本の秋を思い浮かべる。さすがに南国だけにスコールがあったり、雷が鳴り響いたり、も愛嬌。
コンクリートジャングルの中でのアスファルトの照り返しの暑さに比べれば、なんと気持ちの良い気候か。
子供のころから英語を学ばせ、国際人としての基礎を作っていくべきだ。
いや、母国語がしっかり身についていることが前提であり、まずは母国語が大切だ。
褒めて育てる。これが極意。子供であれ、部下であれ、叱ってやる気を失わせるより、褒めて育てた方が人は育つ。
褒めて甘やかしてはいけない。叱られて、この野郎と思い、反骨精神から人一倍努力し、一生懸命にやることが育つということだ。
人間というものは基本怠惰な生き物。さぼれるのであればさぼる。そこに無駄な期待をしても裏切られるだけだ。
人には本能というものがある。素直であったり、誠実であったり。人は根本的に悪を嫌い、善に生きる。信じることが大切だ。
民主主義は人間の尊厳を大切にし、人権の尊重、自由な社会、個人の選択といった成熟した社会を目指している素晴らしいものだ。
民主主義は自由という名のもとに自分勝手に生きることを良しとし、すなわち全体として決して良い社会とはなっていかない。
このように、世の中にはいつもそれぞれの視点がある。その時にリーダーであったり個人であったりは、どちらかを偏重してしまうことも多い。
しかし、二つの中心点があり、それぞれが楕円を描き、どちらかも一定の距離を保ちながらバランスをとっていく、という考え方もある。一方に偏らないように、状況によって距離を加減していく。
これを「楕円の哲学」というらしい。最近読んだ書物で知った。
うん、なんかしっくりくるな。どちらが絶対正しいなんてことはない。
もちろん議論は大事。主張も大事。ただ一方に偏重するよりは「楕円の哲学」のほうが私には合っているような気がする。世の中、しょせん自分に合っているか合っていないか(笑)。正しいか正しくないか、なんてあまり重要ではない。
南の島に住むでもなく、真夏日が続く日本を離れないでもなく、楕円で生きていくのがいいなあ。
あ、蝉がうるさいくらい鳴きだした。
ツクツクボウシ拝