感謝の欺瞞
今日も電車に乗り、快適に移動をすることができた。安全に運転してくれた運転手さんに感謝だし、こんなに移動が楽な鉄道網を敷いてくれた先人の皆さんに感謝。
こんなにおいしいお米を毎日食べることができ、しかも365日切らすこともなく。心を込めてお米を作ってくれている農家の皆さんに感謝。
工場では毎日納期に追われながら生産に従事し、本部では必要な資金を銀行から借り入れできるよう努力し、お客様に喜んでいただけるよう営業活動に励み。会社が存続していくために日夜問わず働いている会社の皆に感謝。
ありがとう。
なかなかあることじゃないから、有難う(有り難い)。
ネットである人の発言を読んだ。
「一生懸命美味しい野菜やお米を作っている皆さんの努力は大変なもの。だから農家の方々に感謝をしなくては、という言説がある。しかし努力しているのは農家だけではない。ご飯を食べるときにお箸を使うがお箸を作る木を育てる林業の人も努力をしている。トイレに入れば快適なトイレットペーパーを作っている製紙会社の人も努力をしている。いつでも24時間なんでも買えるコンビニで働いている人も努力をしている。農家の方々に感謝をしなくては、というならば林業の人にも製紙会社の人にもコンビニで働いている人にも感謝してるのか?」
一理ある。
人間は一人では生きていけない。相互依存して生きている。すなわち自分の存在が他人への貢献になっている一方、他人の存在が自分への貢献になっている。感謝するのであれば、神羅万象すべてのことに感謝し、同時に自分にも感謝しなくては。
命ある蚊や蠅を殺すことに強いためらいを感じるようになった。もちろん蝉にも。
命あるものすべてがそれぞれの役割を果たしている。
すべての存在に感謝。
ツクツクボウシ拝