自分の考えは偏っている
おー、暑い!
暑い国にいる。だから暑い。汗がだくだく出る。
これも楽しいひと時。
いらいらする。
なぜ人のことをそんなに責めなくてはいけないのか。
その人に言わせると、「責めてない」、と。
いや、責めていると思う。
別に人のことを責めなくても要求は伝えられると思うし、責めてしまえば相手は防衛反応を起こす。
だから、人を責めても何も改善しないし良い方向には向かっていかないと思う。
なんだけど。
ふと思いが頭を横切る。
どうして人が人を「責めている」のを見るのが嫌なのか?
ひょっとすると「人は責められるべきじゃない」という考えが心のどこかにあるのか。
あるいは、むかし責められて苦しい思いが頭の奥底から消えないから反応してしまうのか。
もしかしたらその人の「責め方(?)」は、別に本当に「責めていない」のかもしれない。本人が「責めていない」といっているのだから。
私の受け止め方が、斜めなのかもしれない。私の見方が、なにかレンズを通してみているのかもしれない。
そう。その可能性はある。十分に。そういう風に一呼吸置くことは大事だと思う。
だけど、そうじゃないかもしれない。
となると、ようするに、答えはない。
ただ、自分の見方はひょっとすると偏っているかもしれない、と常に自問することは、きっと重要。それに気づかないことはとても怖いことだから。
暑いなあ、というのも現地の人にとっては、そうでないのかも。
私が暑いと感じるのも、偏りかもしれない。
ツクツクボウシ拝