自然発生的ファシリテーション
ある団体の打ち合わせがあった。
8人で4時間にわたる缶詰状態。
会議室の窓が開いていた。少し肌寒い。
外をヘリコプターが飛ぶ。
そのうるささに、私は立って窓を閉めた。
10分の休憩が取られ、みなそれぞれの時を過ごす。
トイレに行くもの、スマホをチェックするもの。
そのうちの一人が窓に近づき、窓を開けた。
ヘリコプターはもういなかった。
あれ?
そうなんだ。
窓を開けていたいんだね。
暑い?
休憩時間が終わり、皆が集まってくる。
これからまた会議だ。
一番窓に近い人が言う。
「すみません~、窓なんですが開けたってことは換気ですかね?」
窓を開けた人が答える。
「一応コロナだからさ、換気で。」
「なるほど、そういうことですね。実は私は花粉症なんですよ。
なので、花粉が舞い込むようなら閉めていいですか?」
「ああ、もちろん、もちろん」
なるほどね。
窓を開ける、閉める、にもいろいろあるわけだ。
訊いてみないとわからない。
一番窓に近い人は、窓が開いていることにただ我慢をするのではなく、
その理由を尋ね、必要あれば閉めていいか許可を得ている。
どこにもありそうな会話?
そうね~、ありそうで、あまりない。
言いたいけれど、言えない?言いたいけれど、言いにくい?
そんなこともある。
そして開けたい、閉めたい、の理由もそれぞれ。聞いてはじめてわかる。
一言聞くだけで、お互いが分かり、コミュニケーションが取れ、
それぞれが我慢することなく、心地よい時が過ごせる。
自然発生的ファシリテーションだね。
ツクツクボウシ拝