提供することは幸せの元
私の国には昔から、「提供することは幸せ」という教えがある。子供の頃はよく意味が分からなかったが、歳を取るとともに意味が分かるようになったと思う。
「提供すること」で、何が得られ、どのように幸せになれるのか。私にとって、得られるものはモノではなく、それは微笑みを伴う気持ちである。
高校性の時に、電車で学校に通っていた私は、交通機関を利用する外国人をよく見かけた。彼らのほとんどは地図の前に立って悩んでいる顔をしている。こういう時、私はすぐに「どこに行きたいんですか?」と話してかけて案内をする。では、彼らを助けたことによって、私は何を得られただろうか?答えは、彼らの笑顔や、「ありがとう」や「助かりました」という言葉である。それだけで私は満足して幸せだった。
しかし、たまに何も言わずに去っていった人もいる。そういう時には「急いでいるんだろう」と思うようにする。もちろん困っている人を助けるのは御礼が欲しいからというわけでもないし、この習慣を続けたいと思っている。
最後に、提供することは、色々なやり方で表現することができる。困っている人に助けを提供すること、親に恩を返すこと、迷子犬を保護することなどである。どんなやり方でも、相手に喜んでもらえたら、私は幸せである。皆で助け合える社会になればいいな、そうすれば皆が幸せを感じられるだろう、と心から思っています。