HAKUSUI COLUMN

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何気ない日常

▼ 虫の画像が出てきます。

猫の額もない我が家の庭に高さ4m程に大きくなった椎ノ木があった。
子どもたちが拾ってきたどんぐりが大きく育ったものである。

 (写真はイメージ)

大人の背丈より高くなった頃、この椎ノ木を切ろうとした。しかし、子供たちから「この木は天国にいるおじいちゃんだから切っては駄目!」と訴えられて、そのままになってしまった椎ノ木である。

それから何年も過ぎ、ある年の春、大きく成長したこの椎ノ木に、4年続けて鳩の夫婦が粗末な巣を掛けたことがあった。入れ代わり立ち代わり小枝をくわえてきて巣作りをしていたが、思っていた以上に粗末な新居であった。
鳩は縄張り意識が強いらしく、他の仲間から追いやられ、仕方なく我が家の椎ノ木を選んだのかもしれない。決して子育てに適しているとは思えない三叉に別れた幹の中程あたりに棲み家を決めてしまったようである。

しかし、待てど暮らせど卵が産まれる様子はなく、結局、その年は期待を裏切られてしまった。翌年も同じツガイが棲み着いてくれたようであるが、やはり駄目であった。
そして、3年目の春に待望の卵が産まれ、卵を抱いているのが確認できた。3個の卵を産んだようである。木に登って間近で確認したかったが、2階のベランダからなので、枝が邪魔になってはっきりとは確認できなかった。

しかし、それから2週間余り経った頃、大事件が起こった。
帰宅するなり「卵が蛇に食べられた!」と子供たちが突進してきた。現場にいってみると、確かに椎ノ木の下に卵のかけらが散らばっていた。
報告によれば、晩ご飯を食べていた時、鳩が騒いでいるので外を見ると、この椎ノ木の太い幹に蛇が巻き着いていて鳩の巣目指してよじ登っているところだった。しかし、怖くてただ見ているしかできなかったらしい。
鳩には可愛そうであるが、「ただ見ているだけで良かった」というのが、その後の我が家の結論であった。

椎ノ木を舞台に繰り広げられた命のやり取りには、善い悪いなどなくて、ただ自然の営みに従っているだけであり、人の手の介入は極力避けるのが最良というのが結論であった。

他にもいろいろな生き物がやってきてくれている。木に集まる昆虫、昆虫を狙う鳥たち。
干し柿をついばみにきたムクドリ。変わりどころではハムスター。何処から逃走したか分からないが、早朝、庭で息子が捕まえた。


また、今まで図鑑でしか見たことのないタマムシもやってきた。死んだあとも長らく室内に鎮座してもらっていたが、金色光沢の鮮やかさは色褪せなかった。
イモ虫に一晩でパセリの葉を丸裸にされたり、里芋の大きな葉を大部分食べられたりと被害も多かったが、どのような蝶になるのか楽しみでイモムシをそのままにしておいた。しかし、その後、パセリの育て主からこっぴどく叱られたのだが、反省したふりをしてやり過ごした。

文字通り猫の額の庭でも、ボーッと見ているだけでも飽きないのは、何も変わっていないように見えても、いろいろな変化や命の攻防が起こっているからだろうか。山で焚き火のゆらめきを無心で見つめている時と同じ感覚になる。
何も考えずに炎を見つめていても眠くはならない。聞こえるのは、炎を上げ始めた木が弾けるパチパチという小気味よい音、間断なく聞こえる沢の音、それに木々のざわめきだけである。

今はなき椎ノ木を思い出すと、いつの間にか自然の営みの中に身を置いている自分がいて、それだけでしあわせなのかもしれない。

以上

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